11月の俳句部の題詠は「紅葉」でした。前回の「猿酒」が変化球だとすれば、今回の「紅葉」は俳句の世界ではド真ん中の直球です。
俳句を作るという場合に、自分の言いたい事、感じた事、伝えたい事が先にあって、それにふさわしい季語を探して作る、というやり方もあると思います。ポレポレ俳句部では、まず与えられた季語がありますので、各々がその季語から想起するイメージ、過去の経験などを材料に句作に取り組むことになります。
私の頭の中では、紅葉という言葉からイメージするものに「アポトーシス」というものがあります。ちょっと難しい生物学用語ですが、意味としては「プログラムされた細胞死」という感じでしょうか。今回この報告書を書くために調べたら、植物が花を落とすとか、葉っぱを落とすという意味のギリシャ語が由来だそうで、私のイメージもあながち間違いではなかったようです。興味のある方は調べてみてください。
「アポトーシス」という概念が私のような素人にまで知れ渡るようになったのは、この20年程のことでしょうか。何故だか知りませんが「死」をずっと身近に感じながら生きてきた私にとっては、この概念は一つの救いになりました。もちろん「アポトーシス」は細胞レベルの死であって、個体の死とは別次元の話なんですが、誤解を承知で利用させてもらったのです。
すみません。俳句から離れた話を長く書いてしまいました。でも、私以外の方にも、紅葉という季語から「死と再生」というテーマを連想された方もいたようです。
それでは当日の発表順にご紹介します。
産廃の荷台に父の庭紅葉(楽来)
物件を見に行く朝の紅葉かな(松竹梅)
空青し祝祭のごと紅葉散る(紙の舟)
もみいづるアプリボワゼの向こう側(のん)
紅葉狩来年はトマト帽と(森の中の田んぼ)
夕方や紅葉一枚期待せり(スニーカー)
夜上がりの紅葉きのふの砂時計(薬夏)
「紅葉」という季語が頭の片隅にあったこの一か月。例年の秋より自然の美しさを感じながらの日々だったと思います。これも俳句の効用の一つですね。小さな子供が落ち葉を追いかけ、拾って来てはお母さんに届ける。そんな微笑ましい光景にも出会えました。
子が追いし紅葉片手にハイボール
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・執筆者
楽来/健康への不適応?の日々
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次回の俳句部は12月10日(土)です。
12月のお題は、「闇汁」「闇鍋」
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