北朝鮮から連日のようにミサイルが発射され、プーチンは核の使用も辞さないと恫喝する。こんな世界に住んでいて飲まずにやってられっか、ってことで、今回の題詠は「猿酒・ましら酒」でした。猿酒というものは、現実に存在するものだそうですが、それがどういうものか実感として分かる人はほとんどいないと思います。俳句の世界では、このような非現実的なものが季語になることもありますが、ポレポレ俳句部の題詠としては、今回が初めてとのことでした。それだけに、今までにない新たな作風を生み出すチャンスだったかもしれません。それでは、当日の発表順に見ていきましょう。
信楽の狸の忍者ましら酒(紙の舟)
狸も忍者も「化ける」というイメージがあります。狸が忍者に化けているのか、忍者が狸に化けているのか、読み手に委ねられています。でも狸に「信楽の」と付いてますから、この狸は信楽焼の置き物ですね。だとすると忍者が狸に化けてます。居酒屋の入り口なんかに狸の置き物がよくあります。酔っぱらって帰りに見てみると、もうそこには居ない。そうか、あれは忍者だったんだな。
カルピスと混ぜたらピンクましら酒(松竹梅)
当日は話題には出なかったけど、ひらがな、漢字、カタカナの文字のバランスがいいですね。カルピスは夢の飲みものです。いろんなものと混ぜてみたくなる。ましら酒と混ぜると、きっとピンク色になるに違いない。身近な飲みものであるカルピスと、空想的なましら酒をミックスした俳句。見事な化学変化を起こしましたね。
「猿酒の壺に居ます」と置き手紙(楽来)
村はずれに住む孤独な老人。しばらく姿を見ないので、村人たちが様子を見に行った。そこには、大きな壺が一つと、置き手紙があった。ひとまずその日はみんな家に帰った。明くる日もう一度訪れるとそこには屋敷もなく、ただ大きな古い壺だけがあった。こわいですね。
猿酒やおかしくなっちゃったのかなあ(森の中の田んぼ)
孤独にはふた通りある。相対的な孤独と絶対的な孤独。一つ目は、人々の和に溶け込めない相対的なもの。もう一つは、自分が何か分からなくなる絶対的な孤独。前者は飼い慣らすことが可能だが、後者は…。こわいですね。
猿酒に酔いて流るる河童かな(藤風/欠席投句)
河童が川に浮いて姿勢を変えないままに、流れてゆく様が目に浮かぶ。おそらく生きてはいないだろう。白い腹を上にして、両手、両足を大げさに広げている。人の目の届かぬ所までゆけば、あるいは急に跳ね起きて、仲間の所へ帰っていくかもしれない。河童には河童の流儀がある。人間にとっては謎の存在であり続けなければいけないのだ。
猿酒や此岸の花の色眩し(のん)
人間は理想郷を夢想する生きものだ。しかし、その理想郷たるや、何とつまらないものだろう。不老長寿?酒池肉林?クソ食らえだ。有限の時間、一度きりの人生、みんな本当は知っている。この世こそが天国だ。とまあこれは私の解釈で、どうやらご本人の意図は少々違ったみたい。自句自解を聞いたのに、もう忘れてしまった。お互い夢から覚めたらちゃんと教えてもらおう。
好きなものばかりの此岸ましら酒(薬夏)
期せずして此岸という単語を使う句が続いた。薬夏さんは境界線のイメージを喚起する言葉が好きだとのこと。私も好きだ。線と言っても何か固定されたものではなく、常に流動的なものだ。線の向こう側とこちら側の意味も、時に反転したりもする。「好きなもの」はある意味で拡張された自己である。自己と他者の境界でドラマは起こり、詩が生まれる。
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楽来/どうも最近調子が悪いぜ、イエイ
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次回の俳句部は11月12日(土)です。
11月のお題は、「紅葉」「紅葉狩り」
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